2011.11.16 _ 2011.11.26
もし仮に形に自律した意志があるならば、
私にとって技術は現象を捉えるための架橋である。
長梯子を壁に立てかけ、薄く平たい皿を重ね、
数あるものは束ねて綴じる。
重力を纏ったものとそれに反応する行い。
人の生活の中にあって誰にも所有される事のない
こうした行いもまた私にとって境目なく技術である。
人が用いる基準ではなく事物の側に基準を移したとき、
その形から思いがけず失われた世界が再生されることがある。
形が持つ規則はまるで意志を持っているかのように私の行為を方向づけ、
その先で技術の意志たる形と出会った時、
私ははじめてものの実態に触れることができる。
私は不確さを含んだ、不透明で光さえも取り込んで吸収するマテリアルに
形の感触を感じながら制作を続けている。
<記> 白木 麻子
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iTohenにて第208回目となる今展では、関東を拠点に活動を続ける白木麻子(しろきあさこ)氏をご紹介致します。
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毎回、展示をして頂く作家に、こんな質問をします。
「小さい頃はどんな子だったんですか?」と。
要は、その作家の制作たらしめる源を聞きたい思いが強く、
現在の作品に関係はなくとも、個人の中で脈々と続いている
「流れ」のようなものを知りたいからに他なりません。
やはりモノづくりが好きな子供だったようで、誰に見せるでもなく
常に「何か」を作り続けていたそうです。
自宅の中に<制作ブース>をつくり、その中で作業を楽しんだと言います。
何より、手を加えただけモノが変化し、成長を遂げ、意味を持ち出すことに
大いなる興味を抱いたのでしょうか。 はたまた、その意味を持ち出すのが
紛れも無く自分自身の考え方次第だという事に気付いたからでしょうか。
大学時代は、<彫金>を専攻しました。
しかし、あまりに肌馴染みが良すぎてしまったその手段は、
次第に違和感さえ感じるようになったと語る白木さん。
そんな折に出合った素材が「木」だったと言います。
白木さんにとって木の存在と言うものは、「疑いながら」手にした素材だそうです。
そうして思うようにいかない素材と対峙する中で、
次々と作品が生み出されてきました。
制限(体力的な問題や、技術的なこと)の中からしか得ることの出来ない
自由さを獲得する喜びを知ったのでしょうか。
なにより、出来上がった「モノ」に対して、様々な考えうる角度から見つめていく
時間に重きをおくようになります。
そうすることにより、モノが「世界」をかたどり始め、ひとりでに語りだし、
逆に「出来上がってしまったモノ」から発見を誘発されることが多いようです。
今は、主に「木」を主材としていますが、そこに対しては限定して自分を絞めつけずに
緩やかさは保ちたいと言います。
その柔軟性や、あえて言うならば「したたかさ」が、僕が白木さんの作品に
興味を抱いた「根っこの部分」だったのかも知れません。
「不確かさの感触」と題した今展。新作、旧作を加えた展示は関西では
初のお披露目となります。
是非、この機会にご高覧下さいませ。
<記> SKKY | iTohen 鯵坂兼充
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白木 麻子 Asako SHIROKI
1979 東京都出身 現在 東京藝術大学大学院美術研究科非常勤講師 現在までに個展 及びグループ展等 多数に参加 |