2007.11.21 _ 2007.12.2
<紹介文> | ||||
大阪を中心に、京都、神戸、東京と精力的に活動を続けてきた中村にとって、幣廊では約2年振りの発表となる。今回は、新作平面に加え初の立体作品が登場。
2002年から非常に精力的に発表を繰り返し、ここ最近は、一時期異常ともとれる展覧会の量に比べると緩やかなスパンになったが、それは<平面>で表現をしなければいけないと思いこんでいた自分に対しての煮えたぎらない、ある種のつまらなさを感じたのが起因しているようだ。 学生時代、<商業美術(イラストレーション)>を学んで来た彼にとって、その仕事の持つ運命とも言うべき“使われ易さ”に戸惑いを感じたのかも知れない。一体、誰の何の為の創作なのか、と言うことを。 彼が自身で創作をしながらも、第三者の作品を観て惹かれるものが、何故か全て<立体作品>だったという。意識の底の方で、その表現方法に憧れてもいたし、嫉妬と同時に可能性も感じたのかも知れない。そして、そこに軽々と踏み込めない苛立ちもあったのだろう。 本来私たちは優れた<触感>を生まれながらに備えている。しかし、現代の生活の中でそれらが活かされる場面や機会は極めて少なってきた。便利で簡単なモノは、そういった機能をじわじわと奪っているのかも知れない。中村は、そのことに退屈と危惧を感じてしまったようだ。 “触れる”ことにより、ある種の恍惚感と想像力が喚起されることを、今展に望むに当たり“思い出し”、 ユーモラスに、時には辛辣にこちら側へと語りかけてくるキテレツな体や顔をした“着ぐるみ”を着たような人物達。中村の作品は何と言っても観覧者との“距離感”が絶妙だ。独特の『ボケとツッコミ』さえ感じると言えば冗談が過ぎるようだがしかし、これが彼の魅力を支えているのではないかと私は感じているのだ。 |
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<記> SKKY_鯵坂兼充
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私たちの祖先にはもともと<平面>という概念が無かったのではないかと思う。
聞いた話ではあるが、現在も原始的な暮らしをしている人々に<動物>をスケッチで表してもらうと よくよく考えてみると、指、手、足、それら皮膚の精巧なセンサーを最大限に活かして読みとったものを 勝手な見解ではあるが、そういった感覚をフル活用する事が 彼の描く生き物達の顔は、そんな中村の<魂>をそっくり宿してしまったような表情をしていて、 |
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<記> SKKY_角谷 慶
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