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NPO法人スウィング 企画 かなえ個展「Hyogening Kawaring」

ここiTohenでは3回目の企画展開催となりました。ぜひ、ご期待ください。

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Swing 15th Exhibition

かなえ個展「Hyogening Kawaring」に寄せて

表現は変わる、人は変わる。

 

2008年、諸々の事情により「なんにもやる仕事がない!」というオールニート(誤用だったらスンマセン)的な状況に陥った我々スウィング一同は、「仕事しなくていいなんて、ああ素晴らし! ああ楽し!」…とはあんまりならず、どちらかと言うとなんとか「長い間」を持たせることに必死のパッチの日々を送っていた。散歩をしたり、映画のDVDを見たり、テレビゲームをしたり、いくつかのブームが巻き起こっては去ってゆく。そんな時、グッ! とノートに顔を近づけて、力み過ぎ! ってくらいに力強く色鉛筆を握りしめて、ふいにグイグイと絵を描きはじめた人がいる。

 

かなえ、その人である。

 

かなえがはじめた「絵を描くこと」は、その他の事々と同様にスウィング内に一大ブームを巻き起こした。愛想の無い長机にA4のコピー用紙を置き、色鉛筆を走らせる人の群れ。しかしブームはブーム。やっぱりその他の事々と同様、飽きて1人、2人と去ってゆく。その一方で、いつまで経っても飽きる様子もなく、延々と描き続けた人たちがいる。かなえ、Ackey、Qの3人である。よし! そんなに好きなことならば、いっそ仕事にしてしまおう! そうして彼これ、もう9年の月日が経つ。かなえの表現は歳月とともに変わり続け、またかなえ自身も変わり続けてきた。本展ではかなえの表現の変遷を5つのパートに分けて展示しているが、まあ、最後はなかなかのオチだなあと思う。けれど、僕たちは今のかなえを否定も肯定もしていない。そもそも、そんなことする必要なんか全く無い。ああ、今のかなえはそういう風なんだなあと、ただ見ているだけである。

 

「表現されたもの」に優劣がつくことはあるだろうが、「表現すること」自体に優劣などない。でも、そもそも「表現すること」とは一体なんなのだろうか? 絵画であるとか音楽であるとか演劇であるとか、「目に見える“表現らしきもの”を残すこと」が「表現すること」と同意なのだろうか? 例えば緊張や気後れが激しく、スウィングのある場所からまた別のある場所に移動することさえ難しかったかなえが、今、仕事終わりにバスを使って自宅へと帰っている。あるいは大勢の中に入ることさえ難しかったかなえが、今、朝礼や終礼で手を上げて、「今日はバスで帰ります」だとか「今度の休みは買い物に行きます」だとか、毎日(同じようなことを)にこやかに語っている。僕はむしろそんなかなえの姿に心を動かされる。小さな希望の光をさえ見る気がする。「表現すること」って素晴らしい! なんて手放しに賛美するような気は起こらないが、でもやっぱり「表現すること」って素敵なことだなと、日々しんしんと感じている。

 

たぶん1つだけ変わらないこと。

 

表現は変わる、人は変わる。

 

NPO法人スウィング

理事長 木ノ戸昌幸