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フォトテラコ / 写真は版画のようなモノだと気づいた展

iTohenにて第311回目となる今展では、兵庫県宝塚に写真教室をかまえるPHOTO teraco(フォト・テラコ)による“写真は版画のようなモノだと気付いた”展をご紹介致しております。


このPHOTO teracoを主宰する林敦子(はやしあつこ)さんは、iTohenで過去に二度の個展を開催してくださっています。昨年、ひょんな出来事から、誰もが使えるカラー現像が可能な暗室を構えた教室をスタートさせました。そこに集まり始めた絵描きの方や趣味の延長上として取り組む方、写真の違う側面を研究している方々などが[フォトグラム]を表現方法の一つに絞込み展覧会として発展させたのが今回、ご披露しているものになります。

フォトグラム(Photogram, Photogramm, Fotogramm)_とは、カメラを用いずに、印画紙の上に直接物を置いて感光させるなどの方法により制作された写真作品_ウィキペディアより抜粋。

とあるように、ネガやポジフィルムを必要としない写真作品の制作方法。と、言うことはカメラそのものが必要ない、、ということです。実際に体験してみないことには始まらないと、僕も何度か暗室作業に入らせて頂きました。要領がわかるとなんと簡単な作業かと感心。おまけに慣れてくると作りながら考えついたアイデアをすぐに実行に移すにはなるほど最適な出力の一つだと思った次第です。

何より、我々の生活の中に『真っ暗闇』が案外無いことに気づきます。この闇の中での作業は思った以上に心が落ち着く作業でした。僕にとっては、これが一番の収穫となったのです。

さて、素人の話はこの程度に。

出展作家の方々から、作品についてのコメントを寄せて頂いています。


水を水そのものとして視覚化することは難しい。
それぞれのペットボトルに閉じ込められた水たちは
印画紙の上で反射を繰り返すことによって、その存在を露にした。

林 敦子


食品のイメージ写真を素材にしました。
色の変換でみえてくる変なかたちを展示しています。
フォトグラムという作業を通して、 内容物のイメージとして消費される 写真という印刷物についても考えさせられました。

三保谷 将史


海外に滞在中、部屋に偶然迷い込んだ死にかけの西洋蜜蜂との生活を機に、蜜蜂を題材とした作品を作るようになりました。
私たち生物が、この世界に確かに存在し生きたという生命の「時間」や「記憶」。 私は、「写真」は生命の「記憶」を物理として残す装置だと思って使用しています。

オカ ヨウコ


フォトグラムとENCOUNTER( 遭 遇 )しました。

田中 豪


暗室の中、一点の光だけで印画紙に焼き付けるカラーフォトグラムという技法は、自分にとって写真の原点を思い起こさせる素敵な体験でした。

小西健三


2015年アジサイの咲く頃。
初めてフォトグラムを体験しました。

印画紙の上に直接置いたモノが、一瞬の光を浴びて、写し撮られる。 不思議な表現にすっかり魅了されました。 その時から、私は2つの種類の眼を持つことに。

いままでの「ヒトの目」と、新たな「印画紙の目」。モノの見方が複眼になると、世界ははるかに面白くなりました。

みやざきけいこ


わたしたちの目にうつるものは全て無数の光の粒子、「フォトン」が網膜の細胞で感光され、映像化された記録です。
フォトンは単なる粒子ではなく、いわばわたしたちの視覚を司る光のエネルギーです。

生のエネルギー、それ自体を、わたしはつかまえてみたいと思いました。
エネルギーが宿っているところには、きっと未知なる宇宙が生まれるものだから。

上田佳奈