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三保谷将史 写真展「マチノファスマ」

iTohenにて第235回目となる今展(2012年最終の展覧会となりました)では、関西を拠点に活動を続ける三保谷将史(みほたに・まさし)氏をご紹介致します。弊廊では初の発表となります。


京都に写真を専門としたGallery Mainという所があります。そこで企画の一つとして開催された大人数の参加によって成り立つポストカードの販売会がありました。いくつも展示されたものを選び、そのまま持ち帰るという形のもので、僕も観覧者の一人として、吟味しつつ、拝見したのです。いくつかを手に取り、その帰りの電車の中で改めて見直して見ると、小さくクレジットされた三保谷将史さんのお名前に気づきます。興味本位から始まったことですが、どうにも気になる写真を撮るこの人物に一度会って話を聞いてみたい・・と連絡をとったのが彼と交流することになった始まりでした。

でも会うと、恥ずかしいのか慣れていないのか、僕の目の前に立つ朴訥とした青年は、佇まいそのもので、話し声もとつとつとした具合でよく聞き取れません。僕の耳がポンコツなのか、それはさておき、人前で自分の思っていることを言語化するのが、少々 苦手な印象を受けました。

でも、まあそれは、作品には関係があることではないでしょう。持参頂いたポートフォリオを拝見し、ある種の感銘をうけたことは事実なのです。

メールを使ったやり取りの中で、「自分がインタビュイーに、同時にインタビュアーになった」テキストを送ってくれました。なんだこりゃ?と拝見すると、なるほど面白い。文章の上では非常に多弁な人物であることを初めて知ったのです。ちょっと長いですが、是非 ご一読頂ければ幸いです。


2012.11.09都内某所にて

■三保谷さん、本日はお越し頂きありがとうございます。iTohenで開催される三保谷将史写真展「マチノファスマ」について、早速インタビューをはじめさせて頂きたいと思います。

三)宜しくお願いします。

■まず「マチノファスマ」という風変わりなタイトルですが、この由来はなんですか?

三)子供の頃一番印象に残っていた昆虫の名前にプロトファスマ(Proto=最初の・原始の/phasma=異様なもの)というのがいたのですが、そこからの造語です。今僕が撮っているのは新種の昆虫みたいなものなので、だから新しい名前をつけようと思ったんです。それで、街の中で撮っているからマチノファスマにしました。

■なぜ被写体が新種の昆虫みたいなものだと思われるのでしょう?

三)この写真を撮っている時が、子供の頃、虫捕りをしていた時の気分とすごく似てるからです。僕らの身近に、時には潜んでいたり、突然目の前に姿を現したり。種類によっては奇妙な姿形をしていたりするそれらを探して、捕まえて、誰かに見せる。それが楽しい、という点で感覚が密接に共通しています。今は写真だから比較的ましですが、当時は異性からかなり避けられていました。

■今年5月に京都GALLERY9で展示されていた「そらの淵(ふち)」では主に山で植物を撮られていました。今回は一変して撮影地が街になっていますが、なにか心境の変化でもあったのでしょうか?

三)ひとつの形としてまとめて発表したことで、ある程度自分の中で消化され、二度と撮らないという訳では無くともどこか一段落した面がありました。すると次第にそれ以外を撮ろうという気持ちが強まり、だから街(日常生活圏内)への興味が強まるのは必然的なことだったのだと思います。それから、山中では春に入ったあたりからハチに頻繁に襲われるようになり、撮影どころじゃなかった、というのもあります。スズメバチの大群に襲われる夢を見るほどトラウマになっています…。

■では、今回の写真に対する考えを聞かせて頂けますか?

三)どんなに見慣れたものでも、ちょっとした体験によってその見え方や感じ方は変わることがあります。可愛いと思っていた犬に、流血するほど激しく噛まれたら、恐怖の感情はきっと芽生えます。いつも怒る上司にある日突然褒められると印象は変わりますし、今手元にある家族写真も30年後には見え方が変化しているでしょう。 人の認識というのは所詮その程度のものであることがほとんどで、それは街中にある”モノ”に対しても同じだと思います。そう考えると日常は、実はとても不明確で曖昧な世界のようだ、といった考えがずっと根底にありました。

■去年に一度そういった内容の写真を展示されていましたね。そこから考えの進展はありましたか?

三)街で写真を撮り続けるなかで、あらゆるものの認識には、それを包括する概念が前提条件としてあるのではないかと思いはじめました。いつも職場で顔を合わせる人でも、偶然街中で会った時にはすぐ認識できないことがあると思うのですが、これはその人を認識する条件の一つに、「その場所が職場であること」が挙げられるからだと思います。「こんなところで会うと思っていなかった」から、スムーズに認識できない。紅葉シーズンの秋に桜が咲いていたら「この時期に咲いているハズが無い」と疑うのは自然なことですし、有名人がテレビで絶賛していたから買う、みたいなことも同じだと思います。 言い換えれば、あらゆるものの認識は、それを包括する概念から導き出していることがほとんどで、”モノそのもの”を見ていることが実はとても少ないのは、そういった面が大きいのではないかと思っています。極端な例ですが、普段気にも留めないぐらいに見慣れた…例えば電柱も、それが美術館の中に展示されていたら気を改めまじまじと観察すると思います。それは作り手や施設の名声も関係しますが、電柱が立つ”街という概念”から抽出された状態という点も手伝っています。

■それでは、これらの写真を展示する目的はなんでしょうか?

三)この展示を見て単純に、「面白い」とか「面白くない」とか、「○○に見える」や「この人大丈夫?」でもいいので、なにかしら感じたり、そして考えてもらえたら嬉しいなぁと思っています。その感覚は虫捕りをする子供の頃から変わっていないと思います。共感してくれる人がいればなによりですが、正反対の意見にもまたとても興味があります。そうして今僕が見ているものが一体なんなのか、自分なりに理解していきたいです。

■最後に、三保谷さんにとって写真を撮ることとは一体なんなのかを聞かせて下さい。

三)タイトルの由来でもありますが、やっぱり虫捕りのようなことなのでは…と今は考えています。昆虫は100万種を超えると言われているそうで、姿形や生態も多様な謎めいた生き物です。またそれだけで、単純な僕の心を惹きつけるには十分な存在でした。身近に潜んだそれらを探すのは宝探しのような感覚もあり、真夏の炎天下でも虫捕り網を持ち近所を走り回っていた頃のことは今もよく覚えています。 捕獲した昆虫を間近で見たり触れたりする行為は、それだけで多くの発見があります。オンラインショッピングでは製品の質感や香り等がわからないように、昆虫図鑑では得れない情報を体感することができるからです。例えば指の上にアオムシを歩かせた時の感触は、15年以上経った今もしっかりと体で記憶しています。それほど大きな経験だったのだと思います。誰かに見せるということも含めて、そんな自分にとっての虫捕りは、やはり今の写真とも深く共通するものがあるように感じています。

■ありがとうございました。

三)ありがとうございました。


どうぞこの機会にご高覧頂けますよう宜しくお願い致します。

iTohen 鯵坂 兼充

ゴトーマサミ Masami GOTOH

<略 歴>
1987年生まれ 大阪在住
南船場のギャラリーAcruで勤務

2010年より写真の展示活動を開始

直近での主な展示に
・ポストカード展(2012.08/京都LOFT)
・写真/谷口円 三保谷将史 古川紗帆 みやび 展(2012.05/GALLERY9)
・iTohen 推薦作家展 糸 会 糸_eight(2012.02/iTohen)

他 グループ展への出展多数

三保谷将史ウェブサイト