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林 敦子 写真展「PLANETONE」

背後の月が 同じ距離をおいて ついてくるように

地平線もまた 同じ距離をおいて はなれていく

そこが いつまでたっても 未来であるように

虹のむこうへ行きたい と願うように

ドラえもんのドアが なくても

この星に点在する空間には

めくるめく時間差が 存在している

時空間を 旅すること

荒涼とした景色の中に 一人でいると

自分の大きさが わからなくなってくる

自分が 小さくなったのか 世界が おおきくなったのか

<記> 林 敦子

iTohenにて第205回目となる今展では、林敦子氏をご紹介致します。

*
数年前から写真にのめり込んでるのは知っていました。
国内のみならず、国外にも基本的には一人で足繁く出掛けてきては、
機会があるごとに、その旅の記録を度々拝見させて頂いてたのです。

でも、いわゆる“楽しかった”的な旅の記録ではなく、
観光客然とした写真でもありません。

どこか荒涼とした風景やら、極端に人の気配が少ない風景ばかりが
目につきます。
各所で舌鼓を打ったものもありますが、それはご愛嬌。
大方の写真は、そういった「大地の記録」のようなものでした。
静かに、しかしめまぐるしく劣化していく、今の地球の姿を自分の目で確認しておきたい。
そんな欲望さえ伺えます。

以前、林さんは銅版画と言うメディアを用いて、
それこそ精力的に発表を繰り返して来られました。
ところが1995年の阪神大震災(宝塚在住)で自宅が全壊という体験をします。
それまで意識すらしてこなかった当たり前の生活が、
とても奇跡的で、実に不安定なことに気付き、底しれぬ恐怖を感じたと言います。
それは至極、当然なことでしょう。
その時に、自宅に保管してあった作品を、「あぁ、私は この作品を捨てれるな・・。」
と思ったそうです。
執着していたはずのものに未練を感じなかった、“もう一人の自分”が存在したことに
ある種の驚きを感じたと言います。
同時に、電気もガスも水道などの、言わば“ライフライン”から突き放された時に
奇妙な程の開放感を味わったそうです。
不謹慎な物いいかも知れませんが、それは未知の空間へ足を踏み入れた時の感動に
近いものがあったと語ってくれました。

確かに、我々が住む<家>は様々なライフラインに繋がれて成立しています。
テレビは電気線を伝って、水は水道を伝って外部から支給されているのが
自明の理のように。
これは心理的にもなぞらえる事が言えそうです。
人間関係にも、それに似たものが多くあるように。

この一連の体験が、林さんの興味を“広角的なもの”へと一気に移行させます。
版画の家内制手工芸的な“ミクロの世界”への反動が、そうさせたのかも知れません。
その記録として写真と言うメディアが一番、相応しかったようです。
フィルムにその記録を残し、自分のいつもの場所に戻り、写真を印画紙に定着させる暗室での作業は、自身の足で辿ってきた俯瞰的な景色を、もう一度、俯瞰しなおす作業なのでしょうか。

僕が「大地の記録」と感じていた林さんの写真は、
実は「地球(惑星)の記録」だったということに、話を伺いながら気付いた次第なのです。

自身にとって今展は、この数年の散らばった記憶を編み直し、
地球という生き物の持つ躍動感をもう一度認識し直す、そんな機会にもなりそうです。

スイス、アメリカ南西部、チリはアタカマ砂漠、ボリビア・・・
それらの写真が、林さんの独自の定着法で表現されています。

一連の作品を拝見している僕も、いつしかイメージの中を旅しているような錯覚をおぼえました。「神の視点」と言うと仰々しく聞こえてしまいそうですが、そのような気持にさせてもらったことも確かです。

是非、会期中にご自身の目で確認にいらして下さい。
そしていつしか鑑賞者のあなた自身も、一人の放浪者になり、
イメージの中へ旅立てることが出来るかも知れません。

<記> SKKY | iTohen 鯵坂兼充

林 敦子  Atsuko Hayashi

兵庫県宝塚市在住
京都精華大学美術学部造形学科 卒業