2007.3.14 _ 2007.3.18
<紹介文> | |||||||||
第46回目となる弊廊での企画展は、関西を拠点に活動を続ける作家 <原 康浩>をご紹介致します。 幣廊での展示は昨年に続き2回目となります。 18歳の頃より意識的に創作活動を続けてきた原にとって、今年で若干5年目だが、自身にとって作家としての節目にあたるのではないかと考えていると言う。 当初、コンセプチュアルな作品に反発し、それを越えたいが一心で描き溜めた大量の作品を抱え、自転車に乗り、自分の存在を認めてくれる人々との出会いを求め街に飛び出したと言う。 手探りの表現手段を模索し、彼なりに考えた最善の策であったのかも知れない。そうする内に欲は高まり、必然的に『ギャラリー』で発表することの意味を見出したようだ。 現在までに旺盛とも言える数の発表を、この若い作家は積み重ねてきた。 最近の彼の作品を拝見すると、そのどれもが縦横無尽に彩られ、しかし何かにすがりつくような印象をも受ける。だが、ここで重要な事は、彼の作品はそのどれもが『汚そう』と努めているにも関わらず、“上品”な部分を讃えていることであろう。 「当時、周りにいた奴らは みんな(創作を)やめてしまった」と彼との会話の中で語った。 そんな中で創作を続けて行くことは、『作家』と言う響きが持つ華やかさとは裏腹に、得も言われぬ孤独もつきまとうのかも知れない。 『創る』という行為は、自己のオリジナリティーを求めている限り、前人未踏の未開の地へ足を踏み入れることに似ているように思われる。それはとても勇気の要る行為であろう。 なぜならば模範や規則、自分以外にすがれるような安心できる場所もなく、ただ自己との対話を続ける孤独な作業でもあるはずだからだ。 しかし、原にとって創作とは、その重い作業の先にある『ヒカリ』の他ならぬ貴重さと崇高さ、また最高の歓びを信じているからこその事かと思われる。 これは、私共の運営する<iTohen>も全く同様だ。 今の時代にはクールには思われない『汗くささ』が、彼の作品を通して逆に心の奥深に感銘をもたらす。 また、創作に立ち向かう真摯な姿勢は私や観覧者に大きな勇気をも与えてくれるに違いない。 <記> SKKY 角谷 慶 ・
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