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ツダモトシ 展「ツチノコシャベル」

iTohenにて第167回目となる今展では、関西を拠点に活動する作家:ツダモトシ氏をご紹介致します。

* 目が描かれてる。人間なのか、はたまた動物なのか判別しかねるが、何かを見れる「機能」がどの作品にも描かれてる。しかし、その目は見るべきものを見ていない。と、言うのも瞳はどれも焦点があやふやで、さざ波のごとく表現されている。これは一体、どういうことなのだろう、、。
作家本人を観察してみよう。本人はいかにも精悍な人物。にこやかな笑顔も常に絶やさないし、話題に尽きることもない。では、表面では見えにくい精神の奥底に、他者や何事かに対する不信感を抱き、それが意識下で「絵」として現れてしまっているのだろうか。
しかし、これは早合点といったものだろう。作品と対峙する時間が長ければ長くなるほど、ほんわりとした温かい空気がツダの絵から感じられる。目の印象は、やがてさざ波から、海を撫でるふわりとした凪の風に変わり、今では一遍の「詩」となり私の心に響くようになった。

勝手に「ツチノコ」と呼んでる一枚の作品がある。現実には多分、存在しないであろうその生き物は、灰色の野山を駆け回り、踊りながらずんずん進む。なんだったら話しも聞かせてくれそうな勢いだ。少々、「おしゃべり」なのかも知れない。

作品はどのような経緯で出来上がるのであろう。そんな素朴な問いを津田に投げてみた。理由はない、と私のグラブに返球する。少々、強めの直球だ。しかし絵が出来上がる以上、なんらかの理由があるはずだと私は食い下がってみた。話しを聞いているうちに、まずコンセプトが立ち、それを絵に落とし込むタイプの作家ではないことがわかってくる。純白な画面に1本の線を引き、「自分の中の自分」と駆け引きをしながら、さも「井戸掘り」でもする寡黙な労働者のように作り上げているようだ。しかも機械に依存しない、“シャベル”一本で立ち向かう労働者。だからこそ、瞳がはっきりしてないのであろう。私が「あやふやな」と勘違いしていた起因がそこにあるのかも知れない。私が「あやふや」と思っていた瞳は、実は動いている軌跡を記録したものであったのだ。

<記> SKKY/iTohen 鯵坂兼充