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寺田 就子 展「窓ごしの空色」

<作品について>
電線のむこうにひろがる空
水たまりにうつりこんだ空
視線の先にちらつく空をみつけると
そのひとときはそれが自分のものになったかのように思える
いつでもなにかを透かし映してみてしまうのは
そんなここちよい錯覚のため。

窓ごしにみたのはきらきらとしたかなしげな空の色。

<記> 寺田就子

<紹介文>
iTohenにて第134回目となる今展では、関西を拠点に活動を続ける寺田就子(てらだ しゅうこ)氏をご紹介致します。

*
なんとも儚げで、しかし相反して強靱な意志を持つ作品。寺田の作品を初めて目にした時、私はそのような印象を抱いた。
儚げと書いたのは、寺田の作品のサイズがまず物理的に小さい事を指す。何ともこじんまりした手のひらサイズがほとんどなのだ。
そして寺田の作品には、よく“鏡”が登場する。普段、私達の日常生活でも日に一度 は目にするはずの鏡。さほど意識はしないものだ。歯を磨いたり、女性であれば化粧 をする時には必ずと言って良いほど使う物。要は自分自身の姿を確認するための道具と言って良いだろう。
だが、よく考えてみると、鏡に映る自分は、当然ながらいつまで経っても“逆さ”で ある。鏡本体に触れることは出来ても、その中に、同じ動作をするもう一人の私には決して触れることが出来ない。 だからこそ、その関係性に物語が生まれるというものであろう。
いつまで経っても到 達出来ないなどとは、主観的な意見だが、人生そのものと同じではないかと考えてしまうのだ。

近年、スーパーボールや、分度器、虫かごや貝殻がよく登場する。言わばすべてが何の変哲もない既製品。しかし、この既製品達は、寺田の作品に出演すると、途端に重力を失う。重力という足枷から解放してやっているとでも言うのか・・・。 既に本来の真っ当な役目から外されている。
目的は失われるが、それはそれで良いで はないか、と言わんばかりの強気な主張も聞こえてくる。何はともあれ、完成された 作品の視覚が美しいだけに信憑性が増すと言うものだ。

だからこそ、私は密やかな彼女の意見に耳に手を寄せ聴いてみたくなる。彼女は鏡の中の世界も知っているはずだから。

<記> SKKY/iTohen 鯵坂兼充

寺田就子 Shuko Terada

1973 大阪府生まれ
1997 京都市立芸術大学 版画専攻卒業
個 展
1999 光りの透きま(galerie 16/京都)
2000 中空宙(galerie 16/京都)
2001 中空宙 – 空浮(galerie 16/京都)
2003 中空宙 – 低空の中(galerie 16/京都)
2004 中 空 宙 (GALLERY CAPTION/岐阜)
2005 中空宙 – 10年後の記憶(galerie 16/京都)
中空宙 – 思い出す角度(GALLERY CAPTION/岐阜)
2006 中空宙 – 空をのぞく(galerie 16/京都)
澄んだ にごり(GALLERY CAPTION/岐阜)
2007 ひとときの虹(galerie 16/京都)
終わりの扉(GALLERY CAPTION/岐阜)
グループ展
1995 Tabula rasa(京都市四条ギャラリー/京都)
1996 全国大学版画展(町田市立国際版画美術館/東京)
2000 IKIRO CAFE(galerie 16/京都)
2001 差の地図:日米芸術家交換フェローコラボレーションプロジェクト (galerie 16/京都)  SPACE 0~∞ 宇宙(cafe etw/京都)
2002 THE BOOK/観賞週間(galerie 16/京都)
2003 christmas show 2003 (GALLERY CAPTION/岐阜)
2004 京都府美術工芸新鋭選抜展~2004新しい波~  優秀賞(京都文化博物館/京都)
2005 裏・アートマップ(京都芸術センター/京都)
旅の空(GALLERY CAPTION/岐阜)
MUSEUM LABORATORY 2005(海岸通ギャラリー・CASO/大阪)
「目前の視野」(gallery アートフェチ/愛知)
2006 ArtCourt Frontior 2006(ARTCOURT Gallery/大阪)
2007 small-ness(Muromachi Art Court/京都) PARTY(LADS GALLERY/大阪)