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武井 麦「ドローイング ジャーナル」

<紹介文>
第47回目となる弊廊での企画展は、発表のほとんどを米国で続けてきた作家<武井 麦>をご紹介致します。

途中に空白期間があるとは言え、普通の子供たちのようにおもちゃにもファミコンにも馴染めなかった武井にとって“絵を描く”ということは、没頭できる唯一無二の“遊び”だったようだ。

それが現在も変わらず続けてこられたのは、生きていく上での誠実な自信へとつながったからかもしれない。
この事を本人曰く「勉強しているといった感じ」と言う。

プリミティブな現象や物事に強く惹かれるという武井は作品のそこかしこに
その影響された部分を見せる。

主題となるものは主に人物。
身近な家族や友人に始まり実際の恋人他、まるで<連想ゲーム>のように空想世界へと移行していく。
この世界で移動を続けている武井の“身軽さ”も作品に正しく反映されていると筆者は感じている。

というのも武井の作品は「生々しい」のだ。
時には、恐怖まで抱かせるのだが しかし、ここに“身軽さ”が登場している点が、
彼女の作品に独特の優しさをもたらしているように私は考える。

移動することにおいて達人ともとれる武井の創作の旅の途中。
それを弊廊にて展示できることと、国内ではあまり機会を持たない作家の発表ができることに
私自身、喜びを感じている次第だ。

<記> SKKY 角谷 慶

麦さんの絵を初めて見たのは、アメリカのTerri Saulさんという絵を描く人のウェブサイトからのリンクででした。Terriさんと麦さんは友達で、サンフランシスコでいっしょに展覧会を開いたりもしていました。
わたしにはどちらの絵も面白く、女性を描くときの視線などに共通性も感じたのですが、それ以上に二人の絵の対比が印象的で、それはそれぞれのメンタリティが属している場所の違いのように見えました。

麦さんの絵はTerriさんの絵と比べると、わたしには「距離的に近い」感じがしました。
けれども「日本人の絵」として見ると、大きくはみ出しているようにも感じます。そしてそのはみ出している感じ、はみ出し具合が好きなのです。衝撃でもありました。Terriさんの絵はわたしから見るともっと「アメリカ」(もしくは西欧世界)です。それでもアメリカ人の目から見たら、はみ出しているところがあるのかもしれません。麦さんの絵は、アメリカ人から見ると、どのように見えているのでしょう。

「はみ出す」には元の場所が必要です。その場所がどこかということよりも、はみ出ようとする意思、
あるいははみ出してしまっている状態、そこに見るべきものがあるように思います。
麦さんの絵の豊かさをわたしはそんな風に感じています。

<記> 大黒和恵(Web Press 葉っぱの坑夫主宰)

武井 麦 TAKEI Mugi
ニューヨーク生まれ。日本、マレーシア、ベルギーに移り住み現在は日本在住。 近年は画家として主にアメリカで作品の発表。 ドローイング、油絵、水彩画、版画など、2006年からは映像やパフォーミングアート によるプロジェクト、出版など多彩な活動を繰り広げている。