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別所 泰 水彩展「Bettai」

【プロフィール】
1930年(昭和5年)11月01日、三重県生まれ、幼少時小学校時代は船乗りであった父の寄港地が代わるたび、また母の病気などのため5年生まで転校6回、昭和16年(1941)になり、世の中の戦時色が強まり、父の航路も不定期になり父の郷里、津市に居を定めた、昭和19年(1944)県立津工業学校建築科へ入学、1945年終戦、家、学校とも戦災に合い、世の中の変化・混乱などあったが、昭和25年(1950)名古屋の名城大学へ入学1年の在学で退学し、大阪工業大学第一工学部建築学科2回生へ編入学、昭和29年(1954)卒業、大阪市北区(株)村上工務店へ入社、同社は設計・施工を標榜・得意とした会社で、平成6年(1994)暮まで約41年間勤務した、その間、世に問えるような建築は皆無で、実務的な建築技術者として終始し満64歳で退社した。同年11月居を守口市に移し、個人で建築設計をおこない、近年は、建物・風景などの水彩画を描いての余生です。好きな画家は小磯良平。水彩画家では安野光雅画伯で安野さんのタッチを真似ています。(名城大学を1年で止めた理由は後述のとおり。)

【水彩画とのかかわり】
工業学校の建築科への入学は、偶然でした、、戦時中であり、工業関係の技術を習得する時代背景があったのです、しかし建築への道は自分には、ピッタシで製図、用器画などの授業は好きで興味をもって学びました。学年が進んで、上級生になり、建築の完成図(パース)を描くのは実に楽しく興味がもてました、パースは横浜高等工業学校出身の「伊藤一秀」先生が実に熱心に指導をして下さいました、生徒の図面に直接に彩色の仕方を教えて下さったのです、伊藤先生は、横浜高工の名物教授「中村順平」(パリ、エコール・デ・ボザールへ留学しフランス建築士の称号を持ち、のち芸術院会員)の薫陶を受けられたのです。伊藤先生は私の図面に直接手を加えていただけなかったが、見よう見真似で描いたのが身に付いたのです。

【Bettaiの由来】
小学5年生の時、図工を教えてくれた土屋先生が、見栄えはよくないが、飛ばすと、誰のよりよく飛んだ、グライダーを見て、又図画で軍艦・戦闘機・戦車・大相撲の絵を描いて、廊下や階段踊り場に度々展示された。私の名「別所泰」をチジメて「ベッタイ」と呼んだ、勉強はソコソコな私によく声をかけて下さった、当時はそう呼ばれるのは嫌であったが、近年懐かしく、「水彩画ホームページ」を立ち上げたのを機会に、その名を用いる事にした。

別所 泰